キッズカレッジの手作りの小屋には、箱庭もある。
ミソは、精神分析のように、あることないことまで分析しすぎないこと。
「あれやりたい」という子どもが、何かを思って、作りたいものをつくり、満足する。
すたっふは、ただ「いいね」という。深掘りはしない。
まったく学校へ行かなかった子どもが、キッズで元気になると学校に行き始める子がいる。キッズでは、少し学習に向かえるようになった、と思っていたら、最近学習に向かうことを拒否する。本人に聞くと、「オレ、学校でがんばってるんやで」という。学校に行き始め、がんばっているらしい。本来まじめな子どもたちなので、先生の言うことは聞かないといけないと思っているので「がんばる」。
キッズ的には、「がんばらないでいいのに」と思っているが、子どもはがんばっているので、「がっこうへいかないほうがよい」ともいえない。今、学校で「がんばる」ことが、子どものプラスになるのか、マイナスになるのかは、はっきりしない。キッズに来て、ストレスを発散して(学習に向かわないで)いるうちは大丈夫。本当は、まだ学校に行かない方が、それか、学校に行っても、がんばらないでいられるのなら(それは、この子らの特性からしてまだ無理)・・・。いろいろな葛藤がある。
ともかく、キッズは何でもあり。
いやなことはしなくてよい。好きなことをする。特に、学習の課題が終わったら、やりたいことをする。
やりたいことをしているときには、真剣に、力を発揮する。
粘土と漢字指導について 20200403
あるところで、キッズの粘土指導が漢字習得にどう効果があるのかが議論になったらしい。よくある議論で、とくに珍しいことではありませんが。しかし、粘土が漢字の書きにどう効果があるのかという問いをする人は、まず自分が漢字の指導とは何かをどう考えているのかを明らかにしなければなりません。
特別支援教育でよく観察される書字の指導というものは、文字の指導ではなく、字形の書き方すなわち手指の筋肉運動スキルの反復訓練に過ぎません。基本的な問題として、ほとんどの研究や特別支援教育の実践は、「字体」と「字形」の区別をしていません。そこから多くの場合、「字体」にかかわる文字の意味の指導は取り残されたままになります。そもそも、文字の教育になっていないということです。
キッズカレッジの粘土指導は、「漢字」の指導にも関係しているけれども、直接的に「漢字の書き方」の指導を目指してはいない。結果的にはそれでかなり改善しますが。キッズカレッジの指導は、基本的パターンは月2回、1回1時間で漢字1単語(単漢字の場合は1字、2語熟語で2漢字)、休みなしとして年間24回、つまり年24字(単語)だけをあつかう。漢字指導であるとするならばこんな悠長な指導はありません。
漢字指導の最大の問題点は、「字体は抽象的なものであり、視覚化することはできない」という漢字の「字体」の本質をどの程度考えているかということです。日本の漢字教育のほとんどが、「字体」の本質を無視しています。
キッズの指導の特徴はたくさんありますが、議論を拡散させないためにこの点に限って最低2つの点を指摘しておく必要があります。
第1に、粘土を使うときの指導の重点は、「言葉の意味」(断じて「書き」ではない)を視覚的に構成することにあります。上手下手は全く関係ありません。どんなに上手でも模倣はだめ、自分のイメージを大切にする。「ピクチャー・シンキング」の一つといってもよいかもしれない。1時間の学習時間でこの意味の形象化にほぼすべての時間を費やす子どももいるが、スタッフは黙ってみています。言葉は読み書き障害の子どもの思考を混乱させることがあるからです。スタッフは言葉の意味を言葉で説明しないことが原則です。もちろん、「こんなんもある」などとやって見せたりすることは御法度です。「字体」指導なので、基本的には、読めればよいという「漢字の本質」に則ります。文字の形、線の長さ、傾き、などは他の字と混同しなければ間違いのです。「×」ではありません。
第2に、キッズカレッジの指導は粘土を使うか否かにかかわらず、指導の際にスタッフは書き方だけでなく、意味も「教えない」「指摘しない」「直さない」、ヒントによる「誘導もしてはならない」ことを無条件に守らなければなりません。それ故、子どもが粘土や漢字に取り組んでいる間はスタッフはほぼ黙ったままでいます。
これら徹底して「教えない指導」は、キッズカレッジ設立時からの一貫した原則です。つまり、粘土指導は、文字の書き方の指導法ではありません。キッズカレッジの指導は、子どもの指先にではなく、子どもの思考に焦点を置いています。しかも、自分が漢字をどう書いているか、どこで間違いやすいか、どうすれば書きやすいかなどの自分を知ることに重点があります。ところが、この方法によって、長期的には子どもの書字の間違い方は大きく変化していきます。指先の書くスキルが変わったのではなく、書く主体の思考に発達的な変化が(自動的に、弁証法的自己運動として)起きます。指導と子どもの漢字学習との間に、主体を置き去りにした直線的なリジットな相関関係などはじめから想定していません。キッズカレッジの漢字指導は、発達障害のある子どもの人間的発達に関わる教育の入り口としての方法ともいえます。(番頭)
ある教師の研究会では、これまで「学習の事実」に基づく「授業の中での子ども理解」やもっと広く「子どもの事実」を出し合い、議論を重ねてきた。低学年で習得することになっているひらがなやかけ算の習得は、中学年や高学年ではどうなっているのだろうか、という話や疑問が出されたときには、すぐに簡単なテストをやってみて、教師の主観ではなく「事実」に基づく議論をしてきた。そうすると、高学年のどのクラスにもひらがなやかけ算でつまずいている生徒が一定数いることがわかってきた。研究会では、こうした事実が単に子どもの能力や学習状況によるだけでなく、指導要領によって縛られている教科書や指導法にも原因があるのではないかという観点で、教科書がどうなっているかということについても批判的に検討してきた。そうすると、最近の教科書が算数だけでなく、国語でも「考え方」や「やり方」を同じ手順で繰り返し覚えさせるようなものになっていることが明らかになってきた。さらに、学習内容の量が半端でなく多いので、子どもの理解を待っているような余裕は教師の方に残されていない。
ところが、最近、こうした研究会の「学習の事実」や「子どもの事実」に基づく実践研究の方法に対して、そうではなく「教師が捉えた事実」という方がよいのではないかという批判的コメントが出てきた。研究会のメンバーは、まだそうした教師中心の子どもの理解が大手を振るっていることに、驚きと「やっぱり」という感想とが入り交じった複雑な思いを抱くことになった。今日の複雑な教育状況の中で教師が、授業や授業外で見せる子どものありのままの姿をしっかりとらえているか、という教育実践研究の現状に対する疑問や批判から「子どもの事実」に基づく「子ども理解」という議論の方法を実践して手応えを感じ始めていたなかでのできごとであった。これまで、高学年でもひらがなが十分に習得されていなかったために学習に意欲がだせずにいるのに学習意欲がない子とか、学習した時には出きるのに頑張りが足りない子だとか、勉強はできないけれど他に良いところがあるなどという「教師が捉えた事実」が、どれほどに一人ひとりの子どもが抱え込んでいる学習の困難や内面の葛藤などの事実とかけ離れているかということへの問題意識はまだそれほど広がっていないのだなという思いを強くすることになった。実は、「学習の事実」や「子どもの事実」は、そのように見ようという問題意識のある教師にとってそれほどむずかしいことではない。日々の授業での子どもの様子、学習の取り組み方やでき具合を、教師の主観を交えず、ありのままにみればよいだけのことである。ただ、教科書や指導法まで拘束する学習規律、ユニバーサルデザインなどが上から押しつけられる現場では、教師がありのままに子どもを見ることすら困難にしている現状がある。だからこそ、「学習の事実」に基づく「子どもの事実」を大切にし、そこから出発する実践研究の必要性を強く主張する必要がある。
学習障害の理解が教育の世界で広がらない理由は根深い。すぐにあげることができるいくつかの理由がある。多くは、「ディスレクシア神話」と呼ばれている。
実は、通常学級の「すぐれた指導」は読み書き障害の指導法としては不適切。
写真は、辞書で調べてみながら書いた時の字形の一つである。こうした間違いは、書き障害の子どもによくみられる。そして、直すのが困難である。(直せばその時はできるかもしれないが、すぐに忘れてしまう。定着しない。子どもには、やっぱり自分は「バカだ」という思いしか残らない)
「学習障害は成人まで継続することがある頑強さを持つ」ということは、欧米の学習障害理論の常識となっている。この常識が理解されず、上のような神話信仰が教師と発達相談の専門家の中に根強くはびこっている。子どもと保護者の悩みは、今も変わらない。どうしたらよいのだろうか。
粘土と漢字指導について 20200322
粘土が漢字の書きにどう効果があるのかという問いをする人は、漢字の指導とは何かをどう考えているのかをまず明らかにすべきだ。
特別支援教育でよく観察される書字の指導というものは、文字の指導ではなく、字形の書き方すなわち手指の筋肉運動スキルの反復訓練に過ぎない。多くの場合、文字の意味は取り残されたままになる。
キッズカレッジの粘土指導は、「漢字」の指導ではあるが、直接的に「漢字の書き」の指導を目指すものではない。キッズカレッジの指導は、基本的パターンは月2回、1回1時間で漢字1単語(単漢字の場合は1字、2語熟語で2漢字)、休みなしとして年間24回、つまり年24字(単語)だけをあつかう。漢字指導であるとするならばこんな悠長な指導はないであろう。
キッズの指導の特徴はたくさんあるが、議論を拡散させないためにこの点に限って最低2つの点を指摘しておく必要がある。
第1に、粘土を使うときの指導の重点は、「言葉の意味」(断じて「書き」ではない)を視覚的に構成することにある。上手下手は全く関係ない。どんなに上手でも模倣はだめ、自分のイメージを大切にする。「ピクチャー・シンキング」の一つといってもよいかもしれない。1時間の学習時間でこの意味の形象化にほぼすべての時間を費やす子どももいるが、スタッフは黙ってみている。言葉は読み書き障害の子どもの思考を混乱させることがある。スタッフは言葉の意味を言葉で説明しないことが原則である。もちろん、「こんなんもある」などとやって見せたりしてはいけない。
第2に、キッズカレッジの指導は粘土を使うか否かにかかわらず、指導の際にスタッフは書き方だけでなく、意味も「教えない」「指摘しない」「直さない」、ヒントによる「誘導もしてはならない」ことを無条件に守らなければならない。それ故、子どもが粘土や漢字に取り組んでいる間はスタッフはほぼ黙ったままである。
これら徹底して「教えない指導」は、キッズカレッジ設立時からの一貫した原則である。つまり、粘土指導は、文字の書き方の指導法ではない。キッズカレッジの指導は、子どもの指先にではなく、子どもの思考に焦点を置く。ところが、この方法によって、長期的には子どもの書字の間違い方は大きく変化する。指先の書くスキルが変わったのではなく、書く主体に発達的な変化が(自動的に)起きる。指導と子どもの書字学習との間に、主体を置き去りにした直線的なリジットな相関関係などはじめから想定していない。